2.インチャの誕生

インチャの誕生(ある赤ん坊の場合)

ではインチャはどのようにして生まれたのでしょう。

私たちには無数のインチャを意識の奥底に眠らせています。
その中でも誰にでもあるインチャがあります。

それは、<見捨てられる恐怖>です。

誰もが生まれた時は無力な赤ん坊でした。

赤ん坊は一人で移動することも、食べ物を見つけることもできません。
笑ったり泣いたりすることでしか気持ちを伝える術も持っていません。
生きていくためには、誰かに助けてもらわなければいけないのです。

つまり、愛されなくては生きていくことができません。

赤ん坊とは、愛されることが仕事なのです。

 

どれだけ、親が愛情を持って子どもに接しても
赤ん坊の気持ちに100%答えることはできません。
赤ん坊が泣いた時に、いつだってすぐ駆け寄ってあげれるわけではありません。

お腹がすいたと訴えているのに、何か嫌なことがあるのに、

100%それをわかってもらえることはありません。

この時、赤ん坊は言いようのない恐怖に襲われます。

  すぐに来てくれない

  おっぱいが欲しいのに、おむつを代えられた

  自分に関心がないんだ

  ・・・・見捨てられるのではないか

死の恐怖

もちろん赤ん坊に言語化はできないでしょう。
それでも、見捨てられるという恐怖は赤ん坊の無力な心を支配します。
見捨てられる恐怖というのは、愛されなくなるという恐怖なのです。

先程も書きましたが、赤ん坊は誰かの世話にならないと生きていけません。

だから

見捨てられる、愛されない恐怖というのは赤ん坊にとって 死の恐怖 と同じ恐怖なのです。

あらゆる生物にとって、死の恐怖は本能の中でも最大の恐怖です。
理屈で誤魔化すこともできず、他の楽しみに逃げることもできない無力な赤ん坊にとって
死の恐怖は耐えられるものではありません。

 

耐えられない。
だから、忘れようとするのです。
正確には無意識の奥に抑え込むのです。

  親を悪く思いたくない。

  愛されていないと思いたくない。

だから、必死で忘れようとします。

その証拠に、誰にでもあったはずのこのシチュエーションなのに
その時の恐れを覚えている人はほとんどいないのではないでしょうか。

 

時を超えるインチャ

では、どうやって忘れるのでしょう。

苦しみから一時的にでも逃れる、一番簡単な方法は眼を背けることです。
つまり、『忘れること』です。

耐えられない苦しみに陥った時、人は
「この苦しみは自分が感じているんじゃない」と思い込むことでその苦しみから逃れようとします。

自分ではない自分に、愛されない自分をつくることで現実逃避するのです。

まるで身代わりのように。

その身代わり(=インチャ)は、喜んで<愛されない私>を引き受けてくれます。
そして、そのインチャは意識の底、無意識に沈んでくれたのです。
私たちには耐えられない恐れや怒りを抱え込んだまま。

それは私たちを守る為にです。

無力な私がその場を何とかしてやり過ごす為に。

そのお陰で、私たちはその苦しい感情を忘れることができます。

  あ、やっぱりお母さんは来てくれたんだ

  見捨てられてなどいない。

  やっぱり大丈夫だ。

もう見捨てられたのかと絶望していたのに、お母さんが来てくれました。
きっと私は心が震えるほど嬉しかったに違いありません。

・・・それでも、無意識に沈んだ“身代わり”はそのままです。

忘れたものは、忘れたままです。
無意識の底に沈んだ意識は塗り替えられることなく、私たちの奥底で今も泣いているのです。

 

そして、“私”が ~まるで赤ん坊の時のように~ 無力な状態に陥った時、誰かに見放されるような時・・・
つまり、赤ん坊だったあの日の苦しみを思い出させる場面になった時

身代わり(=インチャ)は無視域の底から飛び出してきます。
私たちをかばうように。
「私が守ってあげる!」と言わんばかりに。

そして、“私”は<インチャ>に乗っ取られるのです。

人によっては怒り狂ったり、恐れに震えたり、将来を悲観したり・・・反応は様々でしょう。

しかし、それらの感情は、今の“私”が 今 感じていることではありません。
それは、赤ん坊の時に感じた恐れを再現しているのです、
時を超えて、赤ん坊の時に感じた
恐れ、怒り、悲しみをもう一度味わっているのです。

大人になった今なら、一人でも生きていけるのに。

誰かに見捨てられても、今の自分なら生きていけるはずなのに。

インチャはあの時の赤ん坊のままです。
見捨てられたと感じて苦しくなっている時、

実は遠い赤ん坊だったあの日の怖さを思い出しているだけだった・・・。

これはよくある事例のひとつです。

 

 

もちろん、このような事を知っているとネグレクト(育児拒否)の恐ろしさもわかると思います。
でも、これはネグレクトを受けた人だけにあるインチャではありません。

見捨てられると生きていけない。

これは本能といっていい、誰にでもあるインチャのひとつなのです。

 

今でも待っている無数のインチャ

この「見捨てられることに恐怖を感じる」というインチャはあくまで一例です。 
一例ではありますが、ほぼ全ての人が抱えるインチャということでご紹介しました。 

重要なことは苦しみの根源が、
いえ、実際に苦しんでいるのは“今”の私ではないということ。 
実は私たちの苦しみの原因は無意識の奥底で<インチャ>が苦しんでいるところにあるのです。 
その苦しみを私たちは、<今>の自分が感じていると錯覚してしまうのです。  

だから一時的に他のもので満たしたところで満たされることはありません。
それでは本当の意味で解決にはならないのです。
 

インチャそのものに正しく対処することでしか前に進めないのです。 

しかし、人によって、その人生の数だけ様々なインチャがあります。 

そして、私一人の中にも無数のインチャが存在します。 

過去に傷ついた、納得できなかった、身代わりにしてしまった経験・・・
その数だけインチャは存在します。
その経験が数え切れないように、インチャも数え切れないほど存在するのです。 

 

インチャは歪みと矛盾の中、自らを傷付けることで身代わりになってくれました。
ある時はインチャによって身を守ることができたり、何かを得たこともあるでしょう。
ある時はインチャによって間違った決断をしたり、大事な何かを失ったこともあるかも知れません。

そのいずれにおいても忘れてはならないことがあります。
彼らはそれが“私たちにとって”それが何十年前の出来事であろうと、今もあの日のまま苦しんでいます。 

私たちが苦しみを感じる時、
本当に感じているその感情は実はインチャの痛みであり、その救いを求める声なのです。 

次に、先にご説明したようにインチャをその発生時期に分別して説明したいと思います。 

 

 

 

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