1.はじめに

 

生きることは苦しみである

 

私たちが日々生活する中で、何もかもが思い通りに運ぶことはありません。

なりたくない病気になってしまう。
会いたくない人、嫌な人と生きていかなければならない。
わかってもらえない。
わかってあげられない。

そんな苦しみを回避しようと人はもがきます。

力があれば・・・
お金があれば・・・。
学歴があれば・・・もっと楽に生きることができる。

そう考えてしまうものです。

そして、楽に生きようとする為に
またひとつ苦しみを背負ってしまいます。
そう考えると、お釈迦様の仰る通り

「生きることは苦しみである」

まったくその通りだと思います。

 

 

無明

 

もし今が順風満帆の穏やかな日々であっても

いつか健康を損なうかもしれない。
いつか誰かに追い抜かされるかもしれない。
いつか・・・全てと別れなければならない。

その不安や恐怖から、逃れることはできません。

 

私たちは、状況や相手を変えることが苦しみから逃れる手段だと信じています。

例えば、苦しみの中にある人が100人いれば、
おそらく95人は状況や相手に原因があると考えて、状況や相手をかえようともがきます。
それこそ人生をかけて。

残りの5人程度が、
そうではない自分自身に問題があると考え、能力を磨く努力を選びます。

そして、その100人の・・・多分2,3人がただ自分の能力や他人や状況のせいではなく、自分の意識に原因があると気が付くことができます。
世界が汚れて見えるのは、汚れた意識を通して世界を見ているからだと気が付きます。

そして、おそらく100人いて、最後の1人が

自分の意識は、自分の思い通りになるものではないばかりか『“自分自身”が意識の奴隷になっている』ことを知ることができます。
そして、意識を見つめ、いのちを見つめ輝かせることが問題の解決だけでなく人生の意味や自分の生命の貴さ、素晴らしさに気がつくのだと思います。

その時、問題の解決はもはや一番の問題ではなくなります。
心の安定を得、この世界は生きるに足る、素晴らしい世界であると知るのです。
しかし、前述のようにここまで辿りつくことのできる人はほんの一部の人だけなのです。
それはなぜでしょう。
それは“知らないから”です。
正確には“知らない”ということを“知らない”のです。
これを無明といいます。
私たちはこの無明の中に生きています。
明かりがないから、知らないから、五感=快・不快だけを信じて手探りで生きているのです。
それではあまりに救いがないように思います。
しかしそうではありません。

なぜなら、私たちは全員、魂の奥深くで真実を知っているからです。

だから、身体や苦しみを通じて私たちは問いかけられているのです。

「100人のうちの1人に早くならないか」と。

 

必要なものは誰もが皆、手にしています。
まさに「明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)なのです。

 

 

 

 

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